生かされている

さて、年度も変わりましたが、私は特に変化のない生活を送っています。

 

 

 

 

2023年に入ってから三月が経った頃だと記憶していますが、いつもお世話になっている場所で父と話す機会を設けて頂きました。

21の大人がえぐえぐと泣きながら話したので内容はあまり覚えていませんが、伝えたいことは伝えきったように思っています。

 

ひとつ、新しい人の態度が気に入らないこと。

日本語が話せないなら先にそう教えて欲しかった、話せないにしてもあの態度は最悪だと思った。

ひとつ、私の部屋には新しい人を入れないで欲しいこと。

ひとつ、私の居場所が無くなる気がしていること。

 

 

 

伝えた、けれど、あまり上手く伝わったようには思えませんでした。残念。

 

 

 

 

 

それから半年ほどでしょうか。今は少し別の気持ちに苛まれていて困っています。

 

私は離婚の知らせと結論は知っているけれど、その過程を知らない。無いかもしれないけど、話し合いを設けて欲しかった。

 

はぁ、なんとわがままな子供でしょう。間違いない。そもそももう私は“子供”なんて名乗っていい歳ではないのです。貴方は、もう立派な大人ですよ、自覚なさい。

 

 

 

と、書くことで自分の気持ちを消化しようとしているのかもしれませんね。ちなみにこの文より前はおよそ2ヶ月ほど前に書いたものだそうです。ログが70日前になっていました。SANEMORIの投稿をした日と大方変わりませんね。

 

今はさらに別の反発心も生まれていて、私の内側がひっちゃかめっちゃかです。

母方の祖母とよく会うのですが(お野菜などなどを頂くために)、その度に、「恩返ししなきゃね」やら「お母さんが幸せそうでよかったじゃない」なんて言われたらそりゃ堪りませんよ。堪えてはいますが。お野菜美味しいので。

 

これは父方の祖父母にも母方の祖母にも申し訳ないけれど、私は今の両親に恩返しをするなんてとてもじゃないけれど考えられません。

親不孝だなんて言われるでしょうか、大人なのにと怒られるでしょうか。それでも、私の家族を無くした人たちのために、なにをどう感謝したらいいのかなんて分からないのです。

 

 

2023.7.26

春をさがして

『SANEMORI』を観劇して

 

 

2023年1月24日 正午

 

大好きな人が大きな舞台に立つ様を見ました。

 

3年前のABKAIが今回の擁立のきっかけになっていたりするのかな。

貴方が初春歌舞伎、ひいては襲名記念講演にその名を連ねることになるなんて

3年前、貴方に出会った私は思っていませんでした。

そこに私が行けることも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いちアイドルである貴方が、新橋演舞場のあの舞台で命を削ったこと。

どんな言葉にも替えがたい貴重な経験をしたと思います。

挑戦してくれてありがとう。とても、幸せでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

素敵なところへ連れてきてくれてありがとう

 

今日というタイミングでなければ見られなかったものを見せてくれてありがとう

 

 

貴方が夢を叶えて、階段をひとつずつ上がっていくところを生で見られて幸せです。

 

どうかこれからも貴方らしくいてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな春、見つけた!

 

 

 

 

 

 

 

 

2023.01.24- 2023.05.16

明日は楽しかったはずだった

年明けから

 

 

何だか私ばかりが被害者面してはならないと分かってはいるのですが、依然その気が止まりません。

 

あけましておめでとうございます。

 

昨年の暮れに離婚した両親の父親の方が、年末までに再婚していたようです。

 

正直私はまだ離婚のことも上手く飲み込めてなくて、自分の飲めるように噛み砕いたつもりがいざ口に入れたら喉に引っかかってしまって、その度にゲロゲロと吐き出してるような状態です。

 

果たして私はどうするべきだったのか。

 

自分の中でひとつの課題であった、一年越しの成人式を乗り越えた直後に聞いてから、頭がそれで埋められてしまって日常がぎくしゃくしている気分です。

 

 

 

 

私は特に、両親の再婚や離婚に反対ではなかったように思います。

言い方は良くないかもしれないけど、それは私が付随した人生ではあっても、私の人生では無いし、だから好きなようにすればいいと思っていました。ただぼんやり、私の育った場所が無くなるんだなぁと思ったこと以外は、おおかた離婚を聞かされた当時と考え方に大差はありません。

 

ただいざ離婚しました、じゃあそれを私がいる場で母が少し誇らしげに話したり、嬉しそうにしていたりするのを見るのは些か心がささくれてしまうのです。いくらそれが酒の場であっても、私は嬉しくないし誇らしくもないので。あ、我儘ですはい。

 

じゃあ行かなければいいと、それはもうご最もなのですが、私は一応母の娘という肩書きのある人間ですから、その先の人間関係まで疎かには出来なかったんですね。『離婚をして幸せな母(家族)の構成員で居なければならない』という気持ちが強かったんだと思いますし、それは多分今も変わりません。

 

だから父の再婚にも反対ではありません。むしろ広い家に一人きりで無いことに安心したくらい。ちょっとタイミングが悪かっただけ。

父は私が再婚に関して悪い返事を返さなかったので、この週末までにはおそらく紹介してくれるみたいです。

 

 

 

ただ、私が育ったあの家に、私の家族以外の誰かがいることがどうしても受け入れられなくて、私の家族以外の誰かに侵されていくことがどうしても許せないだけ、そうそれだけ。

 

それが、ちょっぴり大きすぎただけ。

 

私の全てを煮込んで詰め込んでいた、そんな家はもう私の帰れる場所ではないと分かってしまった、そんな感じです。

 

今いる場所も、家主は私のことをおそらく本当に大切に思ってくれているのでしょうけれども、私と彼は本当の家族ではないし、ここは私が育った家ではなくて、また誰かの育った場所であるのです。

 

だから、居場所も帰る場所も無くて、バンジージャンプの最後に吊られてブランブランしているような感じ。宙に吊られてぶらぶら~みたいな。

 

 

 

 

 

私には、離婚を喜ぶ母の気持ちも、再婚を決めた父の気持ちも、キチンと分かってあげられないから。

 

だから、私こそ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ以上被害者面をしていてはいけないと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

2023.1.5

私と彼と

 

 

 

3日前、11年苦楽を共にした妹が亡くなりました。

 

一月前、私の生まれ育った家庭が無くなることになりました。

 

3週間前、初めて9人でするパフォーマンスを見ました。

 

3ヶ月前、7枚目のシングルを手にしました。

 

8ヶ月前、初めての全員主演映画を見ました。

 

1年前、初めての有観客ライブに行きました。

 

2年前、画面の向こうの9人を応援していました。

 

3年前、彼らに出逢いました。

 

11年前、現代の医学では治らない病気になりました。

 

そして21年前、私はこの世に生を受けました。

 

 

そんな私の日常です。大好きな人と、大切な場所を、少しずつ綴っていけたらいいなぁと思います。

 

 

大丈夫、明日はきっと、もっと楽しいよ。